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本動画が2024年最後の動画です。今年も多大なる応援をいただき、ありがとうございました。仕事が忙しい中、今年も一年継続できたことは、みなさまのおかげです。2025年が、みなさまにとって素晴らしい一年となることを心よりお祈りしております。
2024年、一年間お疲れ様です、自分は3月に心臓疾患で10日間、入院してしまい、退院後は会社の上司との相談の上、1ヶ月間自宅療養でした。12月初めはコロナに掛かってしまい、1週間出勤出来ず、健康面ではあまり良い1年では有りませんでした。2025年は大きな病気をせず健康管理に努めたいと思います。
いつもご視聴いただきありがとうございます。入院に感染症と、大変な一年を過ごしてこられましたね。来年は健康面の不安が少しでも無くなることを願っております。
白鳥号を思い出すだけで涙が出ます寝台特急日豊線回り西鹿児島行きの富士号と双璧でしたね現在は東京博多ののぞみ号が好きです札幌開業時に白鳥号として復活する可能性も有るかなと期待してます札幌から夜行、白鳥号、銀河号と大回りで帰京したのがこの間のように思い出します
いい旅をされましたね。移り行く景色、線路のジョイント音を感じながらの旅、それこそがグレートジャーニーです。
アップありがとうございます。関東民なので函館から札幌まで急行とはいえ5時間もかかるのが逆に新鮮です。こっちでいうと東京仙台くらいの距離感かな?
いつもありがとうございます。電車最長特急から青函トンネルを通って北の大地へとレールだけで繋がりましたね。この頃は北海道ワイド周遊券があり、学生の長期休暇の際には白鳥~はまなすのリレーをされた方が多数いらしたのでしょう。はまなすは最初は寝台車がなく、大阪からではほぼ1日列車の座席で過ごしていたとは思いますが、今では出来ない貴重な体験だったことと想像します。6分過ぎに出てくる能生駅は3年前の冬にえちごトキめき鉄道の急行電車で訪ねました。特急が停車するには小さな集落でした。駅に行けばふらりと乗れる夜行列車もなくなりましたね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。時刻表を眺めては、この乗り継ぎもいつかは体験してみたいなと思っていました。しかし、あまりに長い乗車時間になかなか行動に起こせず、乗れないままになってしまいました。今では夜行列車が臨時運行するたびにニュースになる位になってしまいましたね。
@@tomoyankunさまありがとうございます。北海道へは列車で2回入りました。いずれも海峡号で青函トンネルを通りました。さらにはミッドナイトでの札幌入りもしたことがあります。先日のトワイライト、はまなす、そして北斗星。一度は乗りたかったですが、寝台列車は発売日の10時打ちでもダメ、はまなすも乗る機会はありませんでした。青函連絡船もそうでしたが、どうも北海道へは旅の醍醐味となる連絡船やエース列車には縁がありませんでした。一度は本州と北海道を行く王道列車を乗りとおしたかったですね。(四国へはサンライズのシングル、九州へははやぶさのソロに乗っています)
周遊券で特急に乗ると特急券が必要でしたが、急行の自由席は急行券が不要でしたので、昔の青森行きたぐにのような急行があったらと思った人もいたのではないでしょいか。私事ですが、1988年の青函トンネル開業前日の夜、急行八甲田で青森に行き、翌朝最終日の青函連絡船で函館に渡りました。函館を観光して、帰りは快速海峡で青森まで移動しました。青森からは行きと同じ八甲田で帰りました。往復はミニ周遊券を使いました。
@@hc-ir2drさま青函連絡船が無くなったのは私が大学入試を終えたときでした。受験が終わったのでどうしても連絡船に乗りたかったのですが、親から「国立大学の発表日までは遠出はダメ」と釘を刺され、私立には合格していたものの国立大学の発表日は廃止後だったことから最終日には乗れず。かなり悔しい思いをしたことを今もって思い出します。列車から連絡船を乗り継ぐあの雰囲気を味わいたかったのでフェリーには乗っておりません。函館・大沼ミニ周遊券は私も竜飛海底駅見学のために使ったことがあります。秋田新幹線が出来た年の夏、既に臨時列車となっていた八甲田号で青森、そして海峡号で竜飛海底駅に向かいました。ケーブルカーで地上に上がったときの感動は忘れられません。函館で一泊した後に朝市で食べた三色丼もすごいものでした。帰りははつかり→東北新幹線でした。乗るべき時、乗りたい時に乗っておくのが大切かと思います。
@@TSUYOS185さまありがとうございます。やっとのことで北斗星と日本海は乗ることはできましたが、トワイライトエクスプレスは10時打ちやキャンセル狙いで動いても縁がありませんでした。サンライズの今後も不透明ですし、今のうちに乗っておきたいなと心から思います。
過去の動画にもありますが、かつては直江津で分割して信越線経由で上野へ向かう「信越白鳥」もありましたね。また、福井始発で青森へ向かう列車も含めて2往復体制の時代もありました
後に金沢~上野のはくたか号になりましたね。北陸新幹線の名称を決める際に最速達便をはくたかにして欲しかったですね。
豊栄駅が2つありますね😮(本来の位置と新潟駅の次)今年もお疲れ様でした😊来年も期待してます🙏良いお年を👋😁
いつもご視聴とコメントありがとうございます。初歩的なミスをしてしまいました。概要欄の中に訂正文を記載させていただきます。ご指摘ありがとうございました。今年も一年大変ありがとうございました。良いお年をお迎えください。
この時期は白鳥がグレードアップ前、はまなすが14系ノーマル車のみの地味な編成でした。1990年から上沼垂グレードアップ車が毎日入るようになり、1991年からはまなすに寝台車連結、93年から(まりも気動車化で)ドリームカー連結と徐々に充実していきました。1997年にはカーペットカー連結した半面、白鳥が向日町編成(普通車のみ座席交換)と退化しています。当初はまなすに寝台車が無かったのは車両不足(オハ14の車体壊して個室寝台にして捻出)のほか乗継前提のこの列車で寝台料金払うくらいなら北斗星トワイライトの方が安上がりで需要があると思えなかったのが理由かと。
おー最長特急白鳥号ですか。懐かしいなぁ。親父と一緒に乗ったっけ。余目、遊佐など「いなほ」で止まる停車駅でも通過してた記憶があります。こういうロングラン特急、復活しないかなぁ。今年1年作成お疲れ様でした。また来年も楽しみにしてます。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。お父様とご乗車されたのですね。大変思い出深い列車であることが伝わってきます。こちらこそ、今年も一年ありがとうございました。良いお年をお迎えください。
次回は1987年2月当時の時刻表でこの逆ルート(札幌~大阪)をやってほしい。むしろこっちのルートの方が気になる
この時代に、金沢から秋田まで白鳥に乗ったことがあります。お昼過ぎに出て、8時過ぎに秋田に着きました。長かったですね。
25年近く前と最近のようなダイヤとは言え、新幹線開業や3セク化や高速バス、飛行機などの交通手段の変化が大きいので乗り換えなしで行けたことが遠い昔のように思えます。大鰐温泉で乗り換えのできる弘南鉄道大鰐線も休止(事実上廃止)が決まってしまったので残念です。今年も毎週土曜日の更新を楽しみにして観ていました。来年もよろしくお願いいたします。
大鰐が1991年3月16日のJR線全国ダイヤ改正で大鰐温泉駅に改名しました。
手持の時刻表(1964年9月の日本交通公社発行)では、特急「白鳥」は2001Dで運転されてました。大阪発08時15分、青森着23時47分、所要時間15時間32分。編成は青森編成7両、上野編成7両、計14両編成で、当時は白鳥号の人気は高くて指定席券入手難で、増結・増発の声が喧しかった。青森で翌日の0時10分出港の青函連絡船1便に接続、4時35分に函館に接岸し、04時55分発の釧路行特急1D「おおぞら」号に乗車し、札幌には9時25分着、大阪から札幌までは丸一日掛かります。終着の釧路には15時25分の到着になります。
だから何?😜
小学生の時、いつも実家の前を通過していたダイヤだ😂ありがとうございます🙇
いつもご視聴とコメントありがとうございます。馴染みのある列車を時刻表で見つけると嬉しくなりますよね。
平成初期に何度か乗りました。帰省する時お金に余裕があれば飛行機、次にこのような鉄道、時間があれば小樽-敦賀、舞鶴のフェリーの三択でした。
夢の動力分散方式の特急ですね。もう大阪から日本海縦貫線経由で札幌へ行く特急が走ることはないのだろう?
直流、交流の50Hzと60Hzの両方の電力を使う在来線で数少ない定期電車でもありましたね。
前回あげていただいた「トワイライトエクスプレス」のルートを廉価で行くとこうなる。って感じでしょうか。特急白鳥は青函トンネル開通以前に乗ったことがあったので、青函トンネル開通後は一時間繰り上がっている印象ですね。あと急行はまなすは函館から乗ったことがありますが、何せ1時半過ぎに発車なのでそれまでに酒を呑み過ぎて全然意識のないうちに札幌に到着したので何か印象がない列車でした...
同じく函館から札幌へはまなすに乗りました。廃止の1年前、2月の寒い夜に函館駅で乗車待ちしました。既にカーペット車は空きが無く、指定券のキャンセルが出たおかげでやっと乗ることができるような状態でした。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。急行はまなすはかなり遅い時間に函館駅を発車しますね。函館で美味しいお酒と食べ物を存分に楽しめたかもしれませんね。
現在とは名前が異なる駅、路線、廃止された駅神足→長岡京西大津→大津京叡山→比叡山坂本雄琴→おごと温泉敦賀-大聖寺 北陸本線→ハピラインふくい大聖寺-倶利伽羅 北陸本線→IRいしかわ鉄道寺井→能美根上倶利伽羅-市振 北陸本線→あいの風とやま鉄道富山港線→富山ライトレール→富山地方鉄道市振-直江津 北陸本線→えちごトキめき鉄道大鰐→大鰐温泉津軽今別→廃止(同じ場所に奥津軽いまべつ駅開業)竜飛海底→廃止吉岡海底→廃止木古内-五稜郭 江差線→道南いさりび鉄道東山→廃止姫川→廃止桂川→廃止石谷→廃止本石倉→廃止鷲ノ巣→廃止北豊津→廃止中ノ沢→廃止旭浜→廃止美々→廃止千歳空港→南千歳石狩当別→当別※廃止後信号場になった駅も「廃止」とさせていただきました。
特急白鳥 大阪ー青森間 485系電車 4001M 4002M 湖西線経由1023.5Km懐かしいです。学生時代の貧乏旅行で大変お世話になりました。国鉄時代の話ですが、実家が札幌で、学生時代、札幌から新潟の友人宅へ行くとき、神奈川県内の大学に通学していて、小田急沿線の下宿とアパートで暮らしていた時、一筆書きの乗車券を作って、小田原ー名古屋ー紀勢線ー日本海縦貫線ー青函航路ー海回りで札幌への汽車旅札幌から特急に乗って、大阪まで白鳥に乗車して、新幹線で小田原に行って下宿に帰る札幌から大阪以西の西日本、四国や山陰地方への旅行で、特急白鳥は、重宝していました。札幌から19時台の特急北斗に乗車し、青函連絡船の深夜便で青森へ行き、青森駅の連絡船側の跨線橋から眺める、485系はつかり、583系みちのく、485系白鳥の揃い踏みは圧巻でした。たぶん、記憶の糸をたどると、特急白鳥は、大阪ー青森間を2往復半乗車していたと思います。区間乗車もあると思います。国鉄時代、札幌から大阪まで汽車で行く場合、当時は東北新幹線と上越新幹線が、大宮のちに上野まで暫定開業していた時代ですが、太平洋側回り、つまり東北新幹線と東海道新幹線を乗り継いで大阪へ行くと、19時に札幌、翌日の15時ころには大阪に着くのですが、特急券だけで1万円以上かかり、お手上げでした。しかし、青森から日本海縦貫線を使うと、新大阪ー京都間を東海道新幹線利用で隣の駅まで800円、京都から青森間の特急券が3200円が乗り継ぎ割引で半額の1600円、札幌ー函館間が本州と北海道の特急の乗り継ぎ割引で2800円が1400円くらいだったかな?合計すると3800円くらいの特急運賃で札幌ー大阪間を行き来できました。1982年7月の小田原から名古屋ー紀勢線一周して日本海縦貫線に乗車して札幌へ帰る、逆にその年、1982年8月ー9月に札幌から大阪経由、宇高連絡船を使って四国ワイド周遊券で四国旅行をして小田原で旅行を打ち切って学校へ戻るといった使い方をしたとき、西日本の学生さんやワンゲル部とかが、北海道を目指す場合、特急白鳥は結構そういう方々が利用していたいう記憶があります。学生さんにとって、大阪以西から北海道を目指す場合、大垣夜行で東京まで出てから東北新幹線で北海道までというルートよりも、体への負担を考えると、特急白鳥は一気に青森まで行けたのが良かったのだと思います。
トワイライトではなく普通の特急がロマンがある。
各地の主要駅で人の出入りがありつつ、乗り通す人も多かったのがこの手の列車の醍醐味でしたね。さらには新潟駅で方向を転換するので乗客が座席の向きを変えていたのもひとつのドラマ。食堂車は無くなっていたものの地域ごとに名産品や駅弁を売り歩く販売員の方が乗っていたのも長距離特急の魅力でした。
9:50 新潟の次の駅が豊栄になってて 大潟はこの大形だったはず
北海道へ初めて14系座席車が配属されたのはゴウゴウトウダイヤ改正で関西地区と九州地区を結んだ夜行急行2往復画廃止されて函館運転所に30両転属してきて北海道使用の酷寒地使用例えばドアの引き戸化や、ドアヒーター増強や、蒸気暖房引き通し改造を受けて翌年2月から急行ニセコと臨時急行すずらんに使用されました。その後57年11月ダイヤ改正では14系座席車とともに14系寝台車が札幌運転区転属してやはり北海道使用に改造され、座席車は改正から、寝台車は翌年3月から4月にかけて使用されています。なおこのため最後まで残ったオロネ10型500番台が廃車にになっています。なお14系はすべて500番台に改番されています。
1988年3月13日のJR線全国ダイヤ改正で青函トンネルが開業して寝台特急北斗星と夜行急行はまなす号が運転開始されました。その他に快速海峡8往復も運転を開始しました。
盛岡からのはつかり号の直通や日本海号の函館延長もありましたね。
湖西線、駅の変化【駅名改称】西大津→大津京(2008年)叡山→比叡山坂本(1994年)雄琴→おごと温泉(2008年)【新駅開業】小野(1988年12月4日、堅田〜和邇間)
雄琴がおごと温泉に変わったのは最近の印象だったんですがもう結構年数が経ってるんですねぇ
この時代の特急白鳥は細かく停車していますが、急行がなくなった影響があります。それと長岡での上越新幹線乗り換え案内がなかったですが、白鳥はれっきとした新幹線連絡特急なんですが!
今度は92年の寝台特急「北陸」と急行「能登路」の時刻表旅をリクエストします
いつも拝見させていただいております。糸魚川駅での大糸線(南小谷、白馬、信濃大町、松本方面)の乗り換え列車の紹介ありませんので、ここで紹介してもらえるとうれしいです。
14:30発南小谷行き434D😉
柏崎や東三条に止まるくらいだから加茂にも止まるかなあと思ったけど通過なのね…
京都発10時45分の新快速は彦根行きなんてなかったのでは?それと急行はまなすですが、すべて14系座席車オンリーで、24系なんて連結されていませんでした。
1986.11~1989.3の間は彦根折り返しが1時間に1本ありましたね。それまでは新快速は草津や野洲まででした。米原駅がJRの会社の境界駅であったことも関係しているものと思います。快速電車は大垣まで直通は在りました。
その新快速は確かに彦根行きですな😉
ありがとうございます!勘違いしていました。221系が新造されるのは翌年ですね!
いつもご視聴とコメントありがとうございます。確かに彦根行き新快速、今では聞きなれないですね。はまなすについて、私の記憶では24系もあったように思っていましたが、調べてみますと14系が検査入場などの時に臨時で入る程度のものだったようですね。ご教示ありがとうございました。
@@tomoyankunいや、「はまなす」は、当初は14系座席車💺のみの編成。後に連結されるようになった(JTB時刻表の1999年7月号では連結)開放B寝台は24系。JR北海道には14系寝台車はない😉
タイトルが64年9月になってますよ
いつもご視聴とコメントありがとうございます。早速修正致しました。ご指摘ありがとうございました。
いつも力作ありがとうございます。最初の画面では国鉄と記載されていますね。
ご指摘ありがとうございます。サムネイルも修正致しました。
無理しないように、お願いします!よいお年を!
能生はNo…
本動画が2024年最後の動画です。
今年も多大なる応援をいただき、ありがとうございました。
仕事が忙しい中、今年も一年継続できたことは、みなさまのおかげです。
2025年が、みなさまにとって素晴らしい一年となることを心よりお祈りしております。
2024年、一年間お疲れ様です、自分は3月に心臓疾患で10日間、入院してしまい、退院後は会社の上司との相談の上、1ヶ月間自宅療養でした。12月初めはコロナに掛かってしまい、1週間出勤出来ず、健康面ではあまり良い1年では有りませんでした。2025年は大きな病気をせず健康管理に努めたいと思います。
いつもご視聴いただきありがとうございます。
入院に感染症と、大変な一年を過ごしてこられましたね。
来年は健康面の不安が少しでも無くなることを願っております。
白鳥号を思い出すだけで涙が出ます
寝台特急日豊線回り西鹿児島行きの
富士号と双璧でしたね
現在は東京博多ののぞみ号が好きです
札幌開業時に白鳥号として復活する
可能性も有るかなと期待してます
札幌から夜行、白鳥号、銀河号と
大回りで帰京したのがこの間の
ように思い出します
いい旅をされましたね。移り行く景色、線路のジョイント音を感じながらの旅、それこそがグレートジャーニーです。
アップありがとうございます。
関東民なので
函館から札幌まで
急行とはいえ5時間もかかるのが
逆に新鮮です。
こっちでいうと
東京仙台くらいの距離感かな?
いつもありがとうございます。
電車最長特急から青函トンネルを通って北の大地へとレールだけで繋がりましたね。
この頃は北海道ワイド周遊券があり、学生の長期休暇の際には白鳥~はまなすのリレーをされた方が多数いらしたのでしょう。
はまなすは最初は寝台車がなく、大阪からではほぼ1日列車の座席で過ごしていたとは思いますが、今では出来ない貴重な体験だったことと想像します。
6分過ぎに出てくる能生駅は3年前の冬にえちごトキめき鉄道の急行電車で訪ねました。特急が停車するには小さな集落でした。
駅に行けばふらりと乗れる夜行列車もなくなりましたね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
時刻表を眺めては、この乗り継ぎもいつかは体験してみたいなと思っていました。しかし、あまりに長い乗車時間になかなか行動に起こせず、乗れないままになってしまいました。
今では夜行列車が臨時運行するたびにニュースになる位になってしまいましたね。
@@tomoyankunさま
ありがとうございます。
北海道へは列車で2回入りました。いずれも海峡号で青函トンネルを通りました。さらにはミッドナイトでの札幌入りもしたことがあります。
先日のトワイライト、はまなす、そして北斗星。一度は乗りたかったですが、寝台列車は発売日の10時打ちでもダメ、はまなすも乗る機会はありませんでした。
青函連絡船もそうでしたが、どうも北海道へは旅の醍醐味となる連絡船やエース列車には縁がありませんでした。一度は本州と北海道を行く王道列車を乗りとおしたかったですね。(四国へはサンライズのシングル、九州へははやぶさのソロに乗っています)
周遊券で特急に乗ると特急券が必要でしたが、急行の自由席は急行券が不要でしたので、昔の青森行きたぐにのような急行があったらと思った人もいたのではないでしょいか。
私事ですが、1988年の青函トンネル開業前日の夜、急行八甲田で青森に行き、翌朝最終日の青函連絡船で函館に渡りました。
函館を観光して、帰りは快速海峡で青森まで移動しました。
青森からは行きと同じ八甲田で帰りました。
往復はミニ周遊券を使いました。
@@hc-ir2drさま
青函連絡船が無くなったのは私が大学入試を終えたときでした。
受験が終わったのでどうしても連絡船に乗りたかったのですが、親から「国立大学の発表日までは遠出はダメ」と釘を刺され、私立には合格していたものの国立大学の発表日は廃止後だったことから最終日には乗れず。かなり悔しい思いをしたことを今もって思い出します。列車から連絡船を乗り継ぐあの雰囲気を味わいたかったのでフェリーには乗っておりません。
函館・大沼ミニ周遊券は私も竜飛海底駅見学のために使ったことがあります。
秋田新幹線が出来た年の夏、既に臨時列車となっていた八甲田号で青森、そして海峡号で竜飛海底駅に向かいました。ケーブルカーで地上に上がったときの感動は忘れられません。
函館で一泊した後に朝市で食べた三色丼もすごいものでした。
帰りははつかり→東北新幹線でした。
乗るべき時、乗りたい時に乗っておくのが大切かと思います。
@@TSUYOS185さま
ありがとうございます。
やっとのことで北斗星と日本海は乗ることはできましたが、トワイライトエクスプレスは10時打ちやキャンセル狙いで動いても縁がありませんでした。
サンライズの今後も不透明ですし、今のうちに乗っておきたいなと心から思います。
過去の動画にもありますが、かつては直江津で分割して信越線経由で上野へ向かう「信越白鳥」もありましたね。
また、福井始発で青森へ向かう列車も含めて2往復体制の時代もありました
後に金沢~上野のはくたか号になりましたね。
北陸新幹線の名称を決める際に最速達便をはくたかにして欲しかったですね。
豊栄駅が2つありますね😮(本来の位置と新潟駅の次)
今年もお疲れ様でした😊
来年も期待してます🙏
良いお年を👋😁
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
初歩的なミスをしてしまいました。概要欄の中に訂正文を記載させていただきます。
ご指摘ありがとうございました。
今年も一年大変ありがとうございました。良いお年をお迎えください。
この時期は白鳥がグレードアップ前、はまなすが14系ノーマル車のみの地味な編成でした。
1990年から上沼垂グレードアップ車が毎日入るようになり、
1991年からはまなすに寝台車連結、93年から(まりも気動車化で)ドリームカー連結と徐々に充実していきました。
1997年にはカーペットカー連結した半面、白鳥が向日町編成(普通車のみ座席交換)と退化しています。
当初はまなすに寝台車が無かったのは車両不足(オハ14の車体壊して個室寝台にして捻出)のほか
乗継前提のこの列車で寝台料金払うくらいなら北斗星トワイライトの方が安上がりで需要があると思えなかったのが理由かと。
おー最長特急白鳥号ですか。
懐かしいなぁ。
親父と一緒に乗ったっけ。
余目、遊佐など「いなほ」で止まる停車駅でも通過してた記憶があります。
こういうロングラン特急、復活しないかなぁ。
今年1年作成お疲れ様でした。
また来年も楽しみにしてます。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
お父様とご乗車されたのですね。大変思い出深い列車であることが伝わってきます。
こちらこそ、今年も一年ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
次回は1987年2月当時の時刻表でこの逆ルート(札幌~大阪)をやってほしい。むしろこっちのルートの方が気になる
この時代に、金沢から秋田まで白鳥に乗ったことがあります。
お昼過ぎに出て、8時過ぎに秋田に着きました。
長かったですね。
25年近く前と最近のようなダイヤとは言え、新幹線開業や3セク化や高速バス、飛行機などの交通手段の変化が大きいので乗り換えなしで行けたことが遠い昔のように思えます。
大鰐温泉で乗り換えのできる弘南鉄道大鰐線も休止(事実上廃止)が決まってしまったので残念です。
今年も毎週土曜日の更新を楽しみにして観ていました。
来年もよろしくお願いいたします。
大鰐が1991年3月16日のJR線全国ダイヤ改正で大鰐温泉駅に改名しました。
手持の時刻表(1964年9月の日本交通公社発行)では、特急「白鳥」は2001Dで運転されてました。大阪発08時15分、青森着23時47分、所要時間15時間32分。
編成は青森編成7両、上野編成7両、計14両編成で、当時は白鳥号の人気は高くて指定席券入手難で、増結・増発の声が喧しかった。
青森で翌日の0時10分出港の青函連絡船1便に接続、4時35分に函館に接岸し、04時55分発の釧路行特急1D「おおぞら」号に乗車し、札幌には9時25分着、大阪から札幌までは丸一日掛かります。終着の釧路には15時25分の到着になります。
だから何?😜
小学生の時、いつも実家の前を通過していたダイヤだ😂
ありがとうございます🙇
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
馴染みのある列車を時刻表で見つけると嬉しくなりますよね。
平成初期に何度か乗りました。
帰省する時お金に余裕があれば飛行機、次にこのような鉄道、時間があれば小樽-敦賀、舞鶴のフェリーの三択でした。
夢の動力分散方式の特急ですね。
もう大阪から日本海縦貫線経由で札幌へ行く特急が走ることはないのだろう?
直流、交流の50Hzと60Hzの両方の電力を使う在来線で数少ない定期電車でもありましたね。
前回あげていただいた「トワイライトエクスプレス」のルートを廉価で行くとこうなる。って感じでしょうか。特急白鳥は青函トンネル開通以前に乗ったことがあったので、青函トンネル開通後は一時間繰り上がっている印象ですね。あと急行はまなすは函館から乗ったことがありますが、何せ1時半過ぎに発車なのでそれまでに酒を呑み過ぎて全然意識のないうちに札幌に到着したので何か印象がない列車でした...
同じく函館から札幌へはまなすに乗りました。廃止の1年前、2月の寒い夜に函館駅で乗車待ちしました。
既にカーペット車は空きが無く、指定券のキャンセルが出たおかげでやっと乗ることができるような状態でした。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
急行はまなすはかなり遅い時間に函館駅を発車しますね。函館で美味しいお酒と食べ物を存分に楽しめたかもしれませんね。
現在とは名前が異なる駅、路線、廃止された駅
神足→長岡京
西大津→大津京
叡山→比叡山坂本
雄琴→おごと温泉
敦賀-大聖寺 北陸本線→ハピラインふくい
大聖寺-倶利伽羅 北陸本線→IRいしかわ鉄道
寺井→能美根上
倶利伽羅-市振 北陸本線→あいの風とやま鉄道
富山港線→富山ライトレール→富山地方鉄道
市振-直江津 北陸本線→えちごトキめき鉄道
大鰐→大鰐温泉
津軽今別→廃止(同じ場所に奥津軽いまべつ駅開業)
竜飛海底→廃止
吉岡海底→廃止
木古内-五稜郭 江差線→道南いさりび鉄道
東山→廃止
姫川→廃止
桂川→廃止
石谷→廃止
本石倉→廃止
鷲ノ巣→廃止
北豊津→廃止
中ノ沢→廃止
旭浜→廃止
美々→廃止
千歳空港→南千歳
石狩当別→当別
※廃止後信号場になった駅も「廃止」とさせていただきました。
特急白鳥 大阪ー青森間 485系電車 4001M 4002M 湖西線経由1023.5Km
懐かしいです。学生時代の貧乏旅行で大変お世話になりました。
国鉄時代の話ですが、実家が札幌で、
学生時代、札幌から新潟の友人宅へ行くとき、
神奈川県内の大学に通学していて、小田急沿線の下宿とアパートで暮らしていた時、
一筆書きの乗車券を作って、小田原ー名古屋ー紀勢線ー日本海縦貫線ー青函航路ー海回りで札幌への汽車旅
札幌から特急に乗って、大阪まで白鳥に乗車して、新幹線で小田原に行って下宿に帰る
札幌から大阪以西の西日本、四国や山陰地方への旅行で、特急白鳥は、重宝していました。
札幌から19時台の特急北斗に乗車し、青函連絡船の深夜便で青森へ行き、青森駅の連絡船側の跨線橋から眺める、485系はつかり、583系みちのく、485系白鳥の揃い踏みは圧巻でした。
たぶん、記憶の糸をたどると、特急白鳥は、大阪ー青森間を2往復半乗車していたと思います。区間乗車もあると思います。
国鉄時代、札幌から大阪まで汽車で行く場合、当時は東北新幹線と上越新幹線が、大宮のちに上野まで暫定開業していた時代ですが、太平洋側回り、つまり東北新幹線と東海道新幹線を乗り継いで大阪へ行くと、19時に札幌、翌日の15時ころには大阪に着くのですが、特急券だけで1万円以上かかり、お手上げでした。
しかし、青森から日本海縦貫線を使うと、新大阪ー京都間を東海道新幹線利用で隣の駅まで800円、京都から青森間の特急券が3200円が乗り継ぎ割引で半額の1600円、札幌ー函館間が本州と北海道の特急の乗り継ぎ割引で2800円が1400円くらいだったかな?合計すると3800円くらいの特急運賃で札幌ー大阪間を行き来できました。
1982年7月の小田原から名古屋ー紀勢線一周して日本海縦貫線に乗車して札幌へ帰る、逆にその年、1982年8月ー9月に札幌から大阪経由、宇高連絡船を使って四国ワイド周遊券で四国旅行をして小田原で旅行を打ち切って学校へ戻るといった使い方をしたとき、西日本の学生さんやワンゲル部とかが、北海道を目指す場合、特急白鳥は結構そういう方々が利用していたいう記憶があります。
学生さんにとって、大阪以西から北海道を目指す場合、大垣夜行で東京まで出てから東北新幹線で北海道までというルートよりも、体への負担を考えると、特急白鳥は一気に青森まで行けたのが良かったのだと思います。
トワイライトではなく普通の特急がロマンがある。
各地の主要駅で人の出入りがありつつ、乗り通す人も多かったのがこの手の列車の醍醐味でしたね。
さらには新潟駅で方向を転換するので乗客が座席の向きを変えていたのもひとつのドラマ。
食堂車は無くなっていたものの地域ごとに名産品や駅弁を売り歩く販売員の方が乗っていたのも長距離特急の魅力でした。
9:50 新潟の次の駅が豊栄になってて
大潟はこの大形だったはず
北海道へ初めて14系座席車が配属されたのはゴウゴウトウダイヤ改正で関西地区と九州地区を結んだ夜行急行2往復画廃止されて函館運転所に30両転属してきて北海道使用の酷寒地使用例えばドアの引き戸化や、ドアヒーター増強や、蒸気暖房引き通し改造を受けて翌年2月から急行ニセコと臨時急行すずらんに使用されました。その後57年11月ダイヤ改正では14系座席車とともに14系寝台車が札幌運転区転属してやはり北海道使用に改造され、座席車は改正から、寝台車は翌年3月から4月にかけて使用されています。なおこのため最後まで残ったオロネ10型500番台が廃車にになっています。なお14系はすべて500番台に改番されています。
1988年3月13日のJR線全国ダイヤ改正で青函トンネルが開業して寝台特急北斗星と夜行急行はまなす号が運転開始されました。その他に快速海峡8往復も運転を開始しました。
盛岡からのはつかり号の直通や日本海号の函館延長もありましたね。
湖西線、駅の変化
【駅名改称】
西大津→大津京(2008年)
叡山→比叡山坂本(1994年)
雄琴→おごと温泉(2008年)
【新駅開業】
小野(1988年12月4日、堅田〜和邇間)
雄琴がおごと温泉に変わったのは最近の印象だったんですが
もう結構年数が経ってるんですねぇ
この時代の特急白鳥は細かく停車していますが、急行がなくなった影響があります。それと長岡での上越新幹線乗り換え案内がなかったですが、白鳥はれっきとした新幹線連絡特急なんですが!
今度は92年の寝台特急「北陸」と急行「能登路」の時刻表旅をリクエストします
いつも拝見させていただいております。
糸魚川駅での大糸線(南小谷、白馬、信濃大町、松本方面)の乗り換え列車の紹介ありませんので、ここで紹介してもらえるとうれしいです。
14:30発南小谷行き434D😉
14:30発南小谷行き434D😉
柏崎や東三条に止まるくらいだから加茂にも止まるかなあと思ったけど通過なのね…
京都発10時45分の新快速は彦根行きなんてなかったのでは?それと急行はまなすですが、すべて14系座席車オンリーで、24系なんて連結されていませんでした。
1986.11~1989.3の間は彦根折り返しが1時間に1本ありましたね。それまでは新快速は草津や野洲まででした。
米原駅がJRの会社の境界駅であったことも関係しているものと思います。
快速電車は大垣まで直通は在りました。
その新快速は確かに彦根行きですな😉
ありがとうございます!勘違いしていました。221系が新造されるのは翌年ですね!
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
確かに彦根行き新快速、今では聞きなれないですね。
はまなすについて、私の記憶では24系もあったように思っていましたが、調べてみますと14系が検査入場などの時に臨時で入る程度のものだったようですね。ご教示ありがとうございました。
@@tomoyankunいや、「はまなす」は、当初は14系座席車💺のみの編成。後に連結されるようになった(JTB時刻表の1999年7月号では連結)開放B寝台は24系。JR北海道には14系寝台車はない😉
タイトルが64年9月になってますよ
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
早速修正致しました。
ご指摘ありがとうございました。
いつも力作ありがとうございます。
最初の画面では国鉄と記載されていますね。
ご指摘ありがとうございます。
サムネイルも修正致しました。
無理しないように、お願いします!
よいお年を!
能生はNo…